¡Tengo que ir a la Sagrada Familia !大劇走「サグラダファミリア」狂想曲(お手軽聖地1)
サグラダファミリア(アシャンプラ地区)
スペイン生まれの天才建築家、アントニオ・ガウディが生涯をかけて設計・建築した「教会」。1909年から建設が始まっているが未だ完成せず。戦争、内戦を乗り越え、ずっとずっと建設中。しかし、2026年になんと、完成予定との事。ユーリ!!!作中ではピチット君と師弟がそれぞれ記念撮影をしている。
入場料:
内部見学のみ(Basic Ticket)15ユーロ
塔見学と内部見学( Top Views)29ユーロ
※ 日本語オーディオガイドは基本でついてきます。このほか様々なチケットあり。
行き方:
・地下鉄のL2(紫の線)もしくはL5(青の線)の「Sagurada Familia」駅
・観光周遊バス停留所目の前にあり
・タクシーでカタルーニャ広場(街の中心)からだいたい20分弱
見学所要時間:約2時間
生誕のファサード側
(正面の写真は入場しなくともとることは出来ます。ピチット君が撮ったアングルは十分です)
10話冒頭、ピチット君が寝こけている勇利を待っていられず飛び出し写真を撮るのが、この「サグラダファミリア」の正面です。そもそもこの巨大な建物は何?ですが簡単に言いますと「教会」です。スペインが生んだ天才建築家ガウディ(この人これから死ぬほど出て来ます)が生涯をかけて設計・建築を進めた建物でなんと1909年(!)から「今に至るまで」工事が続いています。完成は2026年の予定。予定ですが、まあスペインですからいつの間にか延びるかもしれません。話半分に聞いときましょう。オタクは待つの、得意ですから。
サグラダファミリアは「生誕のファサード(Facada del Naixement)」と「受難のファサード(Facada del Passio)」、2面に分かれており、ピチット君が写真を撮ったのはおそらく正面の「生誕のファサード」側です。
こちらは唯一ガウディ存命中に出来た部分なので年季も入っており、装飾も非常に細かいため、より有名なんですね。
名前の通り、「生誕のファサード」とは、イエス・キリストが生まれたその時の様子を様々な象徴・モチーフとともに飾り立てた面。オーディオガイドが長々長々と説明してくれますが、全く理解できません。それほど、凄まじい数のモチーフに彩られています。
そして反対側は、これまたその名の通り、イエスが処刑されるシーンの悲しみを直線の、荒削りの印象溢れる彫刻で飾ります。苦しみ、悲しみ、イエスがなくなった瞬間の喪失感を表しており、じっと見ているのが悲しくなるほどの痛みに満ちています。
異教徒ですら、一瞬息が止まるようです。
両面とも、見た目の奇抜さもさることながら、中の個性的かつ壮麗、複雑怪奇な…ともかくとんでもないインパクトをもった巨大建築物。バルセロナにきたからには「絶対に」体験してもらいたいです。正直聖地であるかどうかは関係ないです。
絶対、絶対行くべし。
月日の流れを理解していないのは己のみである
さて、私が最後にサグラダファミリアを訪れたのは7年前のこと。午前中30分程度チケット入手に並び、母と伯母について中にはいりました。正面から見てもわかる焼きもろこし
のような奇怪な塔の上にも上り、きれいに整備されたバルセロナの街を眺め感動。ぜひ、あの絶景を今回ともに巡礼している友人2人にも見てもらいたいなあ、とバルセロナに着いた初日ほんわり思っていると、ある事実に行き当たります。
『サグラダファミリアの入場チケットは予約制』
えーうそー、やっだー、だってこの前は普通にならんでかえたじゃーん。とは言うもののこの前とは7年前。7年あれば生まれたての赤ちゃんが小学校に上がります。変化のない時間をただ無為に過ごすアラサーは気がつかなかった。7年もあればスペインだって変わるということを。ほとんど変わらないのは
己の意識のみだということを!!
そもそもこの情報は着いた1日目、早速ホテル近くのレストランで遅い昼食をとっていた際に話しかけてくれた日本人のご婦人からもたらされたものでした。
「サグラダファミリアってチケット予約しないと見学厳しいらしいわね?私もネットであわてて予約したの」
意気揚々と口に運んでいたサングリアの味が一瞬わからなくなる衝撃。まさかここまで来て中にはいれないなんてことは…あわててネットを確認すると。
12日から15日夕方まで予約チケット完売。
つまり私たちの滞在期間中はだめーってことです。しばらく呆けたように画面を見ていましたが諦めきれず丹念に見て回ると、どうやら内部に入るだけのチケット(Basic Ticket:15ユーロ)ならまだ余裕がありました。ただ、内部見学と塔上部に上がる見学がセットになったもの(Top Views:29ユーロ)は見事に完売。7年の年月はスペインを厳格にしていました。
うーんしかし、ここで引き下がるわけには…
スペイン語チョットデキル、チョットスペインシッテル、とふんぞり返っていたのにこんなあほらしいミスで2人にサグラダファミリアを見せられないなんて…悔しい。あまりにも悔しい。2人とも「でも中に入れるなら、ひとまず良かった」と喜んでくれたのですが、やっぱりせっかくなら上に上がりたい。だめだといわれたら余計登りたい!馬鹿と煙は高いところへ登る、なんて言葉もあるらしいですが知らん。こんなところでまで「ご用意されませんでした」なんて許せない。
ひとまず他の聖地をめぐりつつ、キャンセルが出るのを待ってみたのですが出る気配はなし。そこで、最終手段に出ることにしました。
当日券に、かける!!
そう、さすがサグラダファミリア、教会なだけあって慈悲深い(違うか)。ネット予約なんてものを知らなかった子羊たちのために、ちゃんと当日券もあるのです。
しかし、やはりこの当日チケットも激戦で9時にチケットブースが開いてから1時間以内には塔に上がるチケットは売り切れてしまうそう。(内部に入るだけのチケットも、当日券まで売り切れてしまえば、もうなす術なし。追い返されます。)そこで、次の日早朝にあのヴィクトルが指輪をかざした海岸に行き、写真を存分にとってからその足でサグラダファミリアを目指すことにしました。
ところが!この指輪海岸(たった今勝手に命名しました)、なかなか特定が難しく、サグラダファミリア前に着いたのは9時半前。(このときは地下鉄を乗りつぎました。)正面からは次々にネット予約で手に入れたチケットを手に、観光客が入っていきます。まずい。そこからはともかく短い手足を精一杯動かし、正面(生誕のファサード)からぐるっと反対側(受難のファサード)に回ってチケットカウンターに走りこみました。
7年前とは違い、チケットカウンター自体は非常に空いています。のちのち調べたところ観光客が長い列を成して入場券を求めるようになり、周辺住民に迷惑がかかったため、チケットの半数以上をネット予約制にし、またそれぞれの入場時間を決めることで中が寿司詰め状態になることを防いだそうです。
「チケット、上、上がりたいです、今日!!」
のような片言をまくし立てると、スペイン美女のお姉さんがうーん、と厳しい顔をして、画面とにらめっこ。そして
「あるわよ!3枚!!18時入場、最終だけれど、いい?」
こうしてめでたく私達のチケットはご用意されたのです。ちなみにこれがその日の最後の塔に上がれるチケットでした。これは本当にラッキーだっただけなので、ぜひぜひチケットを事前にネットで予約していただきたい。
この塔に上がるチケットは「生誕のファサード(Facada del Naixement)」と「受難のファサード(Facada del Passio)」のどちら側から上がるか選ぶことになっており、どちらかといえば装飾が上まで細かく施されている「生誕のファサード(Facada del Naixement)」側が人気だそうです。今回、私たちは最後のチケットだったので「受難のファサード(Facada del Passio)」側でした。(でも景色は綺麗でしたよ。装飾も見れました)
ネット予約のチケットは、現地で調べた際1週間後のチケットならまだあったので、旅行の1ヶ月から1週間前でもおそらく大丈夫。ともかく、内部見学と上部見学が一緒になったチケットを予約しといてください。上部からの眺めは素晴らしいです。
予約の仕方はこちらの方が非常に丁寧解説されています
あのバスを発見
さてこの時点で10時半。ぶらぶらサグラダファミリアの写真を撮っていると、ちょうど今回私が激推しする「バルセロナ観光バス」に出会います。ちょうど乗り場がサグラダファミリア「受難のファサード」のまん前なんです。前から一度乗ってみたかったので、2人にお願いしてみると快くOKしてもらえたのでチケットを購入。
このバスでグエル公園に行って、(ここでもトラブルがありましたが後述)見学後まーたバスにのり大聖堂の中を見学。大聖堂近くのホテルにもどって休憩。再度バスに乗り込み、サグラダファミリアまでのんびり向かうことにしました。乗り込んだ際、念のため乗務員さんにどれくらい時間がかかるのか聞くと…
「サグラダファミリアまで1時間くらいかかるわよ」
と乗務員にいわれ、パニック。(この時点で17時20分だったのです!)。バスは発車してしまいましたが、二人の
「どっかで降りてタクシー乗ろう!」
「この辺りで捕まえたら一直線だから、タクシーでもすぐなはず!」
という冷静な決定で、何とか2つ先の乗り場でバスを飛び降り、あわててタクシーを捕まえました。
(ここで17:38)!!!
ロックユー!そしてサグラダファミリア攻略注意点
タクシーの中をのぞくと(バルセロナのタクシーは黒と黄色のツートンカラー)、横幅が成人男性の倍はあり、ひげもじゃで腕はすさまじい数のタトゥーに覆われた「メタル」な男性が。わー怖い。でもとにかく「サグラダファミリアまで何分ですか?!」と聞くと「20分だな」との頼もしいお返事。「サグラダファミリアに18時にはいらなきゃならないんです!」という涙の訴えに「わかった」の一言で車を発進させ、見事18時前にサグラダファミリア近くに車を止めてくれました。ロックでした。(メタルとロックは違うのか)
というわけでまたまた小走りに、今度は正面側にある入場口に入りチケットを見せて無事入場しました。サグラダファミリアにはいるために随分走りまくりです。(しかもほとんど原因は私の過失)。
ちなみに「18時と言ってもちょうどに行かなきゃだめなの?」という疑問があるかと思いますが(夢の国のファストパスとか少々遅れても許してくれますもんね)、ここのチケットは結構「時間厳守」だそうです。ただ、入る前に荷物検査などがあるので入るまでに少し時間があり、数分程度の遅れはスルーしてもらえそうな雰囲気です。パスを確認するスタッフにもよるらしい(ネット情報)、なのでなるべく時間は守ったほうがいいです。
長々書きましたが、ここで注意点を整理します。
サグラダファミリアの注意点
1.チケットは当日もあるが断然、ネット予約のほうが安心。 1週間前までにはおさえましょう。
2. 旅程や予算にもよりますが、29ユーロの塔見学込みが個人的にはオススメです
3.登るときは「生誕のファサード(Facada del Naixement)」側のほうが人気
4.時間は厳守(でも万が一間に合わなくても、とりあえずは行ってみましょう)
5.チケットカウンターは「受難のファサード(Facada del Passio)」側、入場口は「生誕のファサード(Facada del Naixement)」側(正面)にあります。
(みなさんがチケットカウンターに縁はないことを祈ってます)
6.これは後の体験記を見ればわかりますが、上部に上がる人はヒールはやめといたほうがいいです
子供になって、神様の中に入る
さて、後は内部のお話になるんですが、これがどう表現していいものか…。
ひとまず私が今まで見たきた「教会」とまったく違う印象を受けます。さほどたくさん見てきたわけではないのですが、カトリックの教会ってなんとなく「ひんやーり」しているんですよね。そして薄暗い。高い高い天井にほんの小さな音も響いて「何か大きな存在がいる。見られている」感覚に陥ります。
きっと、キリスト教を信仰している方には「神様がいらっしゃる神聖な空間」と感じるのでしょうし、私のような無宗教に近い異教者には、少し恐れ多いような、とにかくお行儀よくしとかねばらなん。という緊張感を与えます。色とりどりのステンドグラスから差込む光も、荘厳ではありますが明るいものではない。
ところがサグラダファミリアは印象がまったく違う。中に入った瞬間、明るい光に包まれて、本当に本当に陳腐な表現なんですが「天国」みたいな光景です。うわーっという小さな声が、それぞれの国の言葉になって、入り口付近で飛び交っています。…
でもそれはただただ綺麗なところに来た、というのではなくて
「なんか知らんがとんでもーねーところにきちゃったぞ」
と、あっけにとられる空間が広がっています。
自分がとってもちっぽけな存在になって、どこか、綺麗な大きな森に迷い込んだのか、それもどこか地球上にある森じゃなくて「神様の国」の森に迷い込んできたような、そんな気持ちになるんです。でも、ほかの教会に感じる肩身の狭さや「畏れ」みたいなものはなくて、本当に無邪気に、「子供」のようにキョロキョロと見回せるあったかい空間なのです。
世界中のいろんな人がいろんな神様を信じている。だから教会や、モスクや、お寺に散りばめられた象徴やモチーフたちは残念ながら世界中の誰もが理解できるものではない。サグラダファミリアのオーディオガイドは本当にずーっとずーっとありとあらゆるモチーフの意味や、構造の特徴を喋ってくれるんだけど、それを聞いた所で全ては理解できない。疲れてもしまう。
でも、サグラダファミリアは、ちゃんとそれらの意味を「感じる」事ができる。ここを作ったガウディって人が神様とは「どんな存在だ」と信じていたかを感じる事ができます。おそらく(ちゃんとオーディオ聞いてなかったので全くの個人の考えですが)、彼は神様をとても「暖かい、親のような存在」と捉えていたのではないかな、と思います。カトリックの歴史ってなかなかに血みどろで、救いよりは「審判」「罪」「贖罪」のイメージがついてしまっているんですが、サグラダファミリアには私たちを「子供」として迎えてくれる慈悲を感じます。
内部には天高くそびえる樹木のような柱が何本も並び、白い室内が真っ白に輝いています。通常の重厚な教会にあるような威厳あふれる聖人の像はありません。ステンドグラスから入って来る光は、明るく気持ちが良い。でも何より目を釘付けにするのは、全く読めないその複雑な構造!あっちにある通路が一体どこにつながっているのか。あの高い所にある観覧席らしき所にはどういけるのだろう。このうねうねした階段、本当に上がれるんだろう。
みんな子供みたいにいろんな所をペタペタと触り一生懸命に上を見上げる。神の前で皆「幼子」に戻るのです。
と、つらつら書いたんですが、全く表現できませんでした。もう、これこそ百聞は一見にしかず、です。ぜひ、ガウディが信じた「神様」を感じてください。
いよいよ焼きもろこし、塔の上へ!
いっちょ前に感傷に浸りつつも内部をたっぷり観察し、いよいよ塔の上へ。時間の事、あまり気にしなかったのですが、本来はエレベーターに乗る時間も決まっているそうです。チケットを良く確認しておいてください。
(私たちは最後の時間帯だったので、ある程度好きな時間に来てもお咎めはなかったようです)
まず、この塔の上ってどこよ?と思われるかと思いますが、
ここです。この通路あたり。なかなかの場所です。
そしてここまで登るのはありがたい事にエレベーターです。しかし、上は本当に狭いので基本的に荷物は置いていくように指示されます。エレベーター前に1ユーロコインで預けられるロッカーがあるので、そこに入れます。
ただ、カメラ、携帯などは持って行っても大丈夫。安心してください。多分大きなリュックとかで通路や階段(そう、階段)でつっかえたりしないように、という配慮だと思われます。(でも携帯もカメラも、ついでにオーディオもしっかり首からかけときましょう)
さて、エレベーターに乗り込むとお姉さんがいろいろ英語で説明してくれますが、基本的に、
1、降りたら展望台。ここではどっち側のファサード側もみれるから好きに見学してね。
2、展望台から降りたらまた少し下がった所で眺望がいい所があるよ。
3、帰りは階段で降りてきてね!
この3点を説明しています。(エレベーター内にある図を指し示しながら説明してくれますので英語わからなくても大丈夫です)
ふむふむ、と頷いているとあっという間に展望台。そこでぽい、と出されてしまいます。ビジネスライクです。でもそこからは。
絶対写真では(特に私の素人写真では)伝わらないはずなのですが、あかね色に染まっていくバルセロナに、うっとりします。バルセロナのアシャンプラ地区は、1区画をアパート群で真四角に囲うようにして、そのまるで要塞のような四角の区画を延々と並べるようにして街を形成しています。
京都みたいなもんですね。
これが上から見るとしっかりわかるので、見ものです。
さて、ひとしきりわーきゃー言った後は、また少し階段をおりて首を外側に出してみると、いろいろなモチーフが観察できます。これはどれだけ下から一生懸命見上げても見られないものなので、塔に上がれた人の特権です。
カメラを落とさないように、スマホも落とさないようじっくり堪能しました。実際、目の前に立った時のあの巨大な建物のこんな先端にまで様々な意匠が凝らされているなんて思いもつかない。でも、ここに来る前にもし、他のガウディ建築を見ていれば「であろうな、ふふん」としたり顔をしてしまうかもしれません。それだけガウディ建築はなんだか、摩訶不思議なのです。
さて、行きはヨイヨイ帰りは怖い、とはよく言ったもので。エレベーターのお姉さんはこう言ったのです。
帰りは階段で降りてこい
と。その階段が、これ!!!!!!!
ワン、ツ、スリー
延々と続く狭く暗い階段!高所恐怖症の人(つまり私)にはなかなか厳しい環境です。私たちの後ろには随分と仲のいい男性二人組がいたのですが「マジかよ」と絶句してました。大柄な欧米男性には、確かにきつい。
ひゃーひゃーヒーヒー言いながら(主に私だけ)感じたのは「これ、ヒールで来たら死ぬな」という事。サンダルも厳しいです。スニーカーが唯一の正解です。
ととん、ととん、と一生懸命足を動かしながら必死に永遠とも思えそうな階段を下ります。ああ、下界に下りていくとはこういう事なのか。小さな存在が上に上がるとこうなってしまうのか。と変な感傷に浸りました。(うるさかったよね、ごめんね二人とも)
なんとかこうにか、地面に降り立ち。荷物を持って外に出ると、そこには
「受難のファサード」が、待ち受けていました。
陳腐な感想で申し訳ないのですが、表現とは奥が深いなあと感じ入ってしましました。全くの異教徒の胸をつく、ってすごい事ですよ。だって共有している文化が全く違うのに。それでも「なぜか辛い」という思いを伝える事ができる。二次創作でへいこら言ってる場合じゃないな、と思います。
ここでヴィクトルと勇利は何を話したでしょうか。二人で、わー綺麗、すごい!とはしゃいで終わりだったかもしれません。でも、表現者である二人には絶対に感じるものがあったでしょうし、ヴィクトルは自分が以前感じたことを可愛い勇利に教えてやりたかったのかも、しれません。
フィギュアスケートも、言葉を使う事もできず、観客も審査員もみんな違う文化圏から来た人ばかり。その人たちに限られたルールの中で自分が思い描いた世界を作り、それですっぽりとみんなを覆う。ある意味つかの間の建築のような気もします。
さて、この後はまたバスにのり、夜のバルセロナを疾走するのですが、このあたりの事は次のグエル公園編でかけたらな、と思います。
読んでくださってありがとうございます。
¡Gracias!